ある瞬間の光を機械的に定着させる「写真」は、19世紀初頭に誕生して以来、あらゆる物にレンズを向け、その可能性を発展させています。
 それまで画家によって制作され上流階級でなければ得ることの出来なかった肖像画は、肖像写真スタジオの出現により社会の広い層へと広まっていきました。また、当時一般の人々が旅行することのなかった遠い異国の景観や大自然を、写真によって目にする機会をもたらすなど、写真による新しいビジュアル・イメージは、驚きの声と共に人々の生活に定着していきました。その中で、私たちを取り巻く現実の姿を写真の持つ記録の力によって表現し、多くの人々へ届ける方法が『フォト・ドキュメンタリー』として20世紀に大きな発展を遂げることになります。

 本特集では、約1世紀に渡り多くの写真家たちが挑戦し、時代と共に新たな表現を生み出してきた『フォト・ドキュメンタリー』作品の歴史と共に書籍をご紹介します。写真を通して世界を表現するアーティストたちの軌跡からは、写真の魅力だけでなく、対象を見つめる新鮮な眼差しを感じて頂けることでしょう。

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 『フォト・ドキュメンタリー』が生まれた背景には、写真機材など様々な技術の進歩がありました。
 取り扱いの難しい写真乾板からフィルムへと進歩し、またそれまで大型で、どっしりとした三脚に据え付け時間をかけて撮影する蛇腹式のカメラであったのが、1920年代中頃にエルマノックスやライカなど小型化されたカメラの登場により、日常の一瞬を切り取るスナップ写真が可能となりました。これは『決定的瞬間』という言葉で有名なアンリ・カルティエ=ブレッソンにとって作品を生み出す重要な要素なっていきます。
 また、1930年代にアメリカ農業安定局(FSA)のドキュメンタリー・プロジェクトに参加し、影響力のある写真を残したウォーカー・エヴァンズの作品は『フォト・ジャーナリズム(次章参照)』の先駆的活動といえるものでした。
 この頃、印刷技術も大きく進歩し、写真を文字と同じ紙面に印刷することが可能となります。以降、新聞や、雑誌、ポスターなどのメディアにおいて、写真によるビジュアル・イメージは、事実を伝えるための欠かせない手段となっていきます。



左:ドイツ、エルンスト・ライツ社の初期型カメラ
中:アンリ・カルティエ=ブレッソン『サン=ラザール駅裏、パリ、フランス』(1932年)
右:ウォーカー・エヴァンズ『Saratoga Springs, New York』(1931年)





 1936年にはアメリカ合衆国最大の写真を中心としたグラフ雑誌『LIFE』が創刊されるなど、政治・社会的な事件など世界で起こった出来事を、写真によるビジュアルと共に報道する『フォト・ジャーナリズム(報道写真)』が大きな発展をみせます。
 やがて、ヨーロッパから世界へと広がっていく戦争がメディアで大きなニュースとして扱われ、この時期にロバート・キャパなど戦場カメラマンと呼ばれる写真家が多く活動し、戦争の悲惨な現状が写真と共に報道されるようになります。さらに、ユージン・スミスは独自に戦争の犠牲者にカメラを向けたフォトエッセイを制作し、社会に向けて訴えました。ワーナー・ビショフもまた、世界各地を訪問し戦後の現状を写真に収めています。
 新聞や雑誌の要求に応えるだけでなく、写真家たちが独立して活動できる基盤として写真エージェンシーが大きな役割を果たし、1947年には、国際的な写真エージェンシー『マグナム』が設立され、現在もなお数多くの個性的な写真家が所属し、様々な問題や事件を追って活動を続けています。
 また、グラフ雑誌の流行は広告やファッション誌の分野でも、その発展に大きく影響していくこととなります。


ロバート・キャパ『崩れ落ちる兵士』(1936年)
ワーナー・ビショフ『子供を抱く女性、インド』(1951年)





 1960年代後半に『フォト・ドキュメンタリー』のスタイルをとりながら、テーマや方法論・問題意識においてアート性の高い写真作品を制作する写真家達が現れます。1966年ニューヨークのジョージ・イーストマンハウスで開催された写真展『コンテンポラリー・フォトグラファーズ/社会的風景に向かって』で、ブルース・デビッドソン、デュアン・マイケルス、リー・フリードランダーらが登場し、1967年ニューヨーク近代美術館で開催された『ニュー・ドキュメンツ』展では、リー・フリードランダー、ダイアン・アーバスらが選出され大きな注目を集めました。
 若くしてマグナムの写真家になったブルース・ダヴィッドソンは、ニューヨークのハーレムをテーマとし、アメリカに潜むひずみを写真によって浮き彫りにする社会性の強いポートフォリオを制作し、リー・フリードランダーは、日常のスナップのように見える写真から、独自の視点やテーマ性、想像力を感じさせる写真作品を制作しています。ダイアン・アーバスは、ファッション誌のカメラマンとして働いた後、社会のアウトサイダー達に大きな関心を寄せ、独特の印象のポートレートを残しました。


左:リー・フリードランダー『New York City』(1966年)
右:ダイアン・アーバス『10代のカップル』(1967年)





 それまで社会的に重大な事件や問題などが、『フォト・ドキュメンタリー』の主なテーマであったのが、1970年代の後半以降、テーマの捉え方が拡大、多様化され、写真家やアーティスト特有のテーマと写真の記録性が結びついた作品が現れるようになります。
 フランスのアーティストであるソフィー・カルは、生活の断片などから架空の物語を作り出し、写真やオブジェ、テキストによって現実世界と重ね合わせた、架空の物語のドキュメントという不思議な作品世界を作り出します。
 90年代に入ると、ドイツ出身のヴォルフガング・ティルマンスが、身の回りの人々や日常の風景などの私的な被写体を切り取った作品を発表します。ティルマンスはその後、実験的なプリントワークや、インスタレーションによる展示空間によって現代アートの文脈でも高い評価を得ています。
 また、デジタル、通信技術が目覚ましく進歩し続ける中で、写真の分野でも以前には考えられなかったユニークな表現が生まれています。ドイツ現代写真を代表する動向「ベッヒャー派」の一人であるトーマス・ルフは、インターネット上からダウンロードした写真を大きく引き延ばしてプリントし、圧縮によるブロックノイズもイメージとみなす、デジタル画像そのものを考察したドキュメントともいえる作品を制作しています。


左:トーマス・ルフ『jpegs I』(2005年)
右上:ヴォルフガング・ティルマンス『TSC 89』(2007 - 08年)
右下:マティアス・シャラー『DIS I』(2008 - 09年)


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