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Installation| インスタレーション - 70年代
 インスタレーションという用語が使用されるようになるのは、1970年代に入ってから。その登場の背景には、60年代に登場したミニマルアートの影響があります。手作業の痕跡を排し、極限まで単純化されたミニマルなオブジェは、鑑賞者が読み取るべき内容をその中に保有してはいませんでした。長い間、絵画、彫刻という『モノ』に帰属されてきた作品の内容が、『モノ』から追い出されてしまったのです。
 若いアーティスト達は、このことから新たな可能性を感じ取り、「『モノ』としての作品」から、「作品と場所や鑑賞者の関係性」や、「作品の生み出されるプロセス」に重点を置くアートの模索を始めます。そして、作品のスタイルにおいても、時代の変化に敏感に反応し、あらゆる要素を取り込みながら、インスタレーションとして組み上げられていきます。

 1970年前後にイタリアでは、マリオ・メルツ、ヤニス・クネリス、ルチアーノ・ファブロ、ミケランジェロ・ピストレット、ジュゼッペ・ペノーネなど、「貧しい芸術」を意味するアルテ・ポーヴェラのアーティストたちが、日用品や工業製品など身近な素材をありのままに用いて作品を制作しています。

 フルクサスのメンバーとして活動していたナム・ジュン・パイクは、60年代よりビデオを用いた作品制作を開始します。70年代には、仏像などのオブジェクトとモニターを組み合わせたり、複数のモニターを空間的に配置したビデオ・インスタレーションを発表しています。

 決まった表現スタイルを持たず、様々な素材を使用し多様な作品を発表するブルース・ナウマン。ネオンサインによるフレーズによって、揺れ動く価値観をユーモアと皮肉を込めて作品化しています。

 ジェニー・ホルツァーは、70年代後半から商業広告のために使用される電光掲示板やポスターというメディアによって、公共空間へ介入する作品を制作します。不特定多数の人々に向けて発せられる、人権問題や消費社会などに対する鋭いメッセージは大きなインパクトを与えました。

 ブラジル・トロピカリア・ムーブメントを代表するアーティストであり、「生きることはアートそのものである」とへリオ・オイチシカ。カラフルなサンバ・ダンサーのマントを自ら身にまとったパフォーマンスや、展示されたマントとサンバの流れるヘッドホンによって、鑑賞者が美術館で踊ることを促すなど鑑賞者と作品の相互作用によるユニークなインスタレーションを制作しました。


図1)ナム・ジュン・パイク《TV Garden at documenta 6, Kassel, 1977》
図2)ゴードン・マッタ=クラーク《Splitting, 1974》
図3)ヤニス・クネリス《Untitled(12 Horses), 1969》
図4)ブルース・ナウマン《Eat Death, 1972》
図5)ヘリオ・オイチシカ《Invenção da Luz, 1978》







3,100円(内税)

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